【新・関西笑談】サッカーに乾杯(2)元日本代表FW 西澤明訓さん(産経新聞)

 ■勝負にこだわり熱中した子供時代 Jリーグ発足しプロを意識。

 −−サッカー始めたきっかけは何だったのですか

 西澤 何でなんだろうなあ。出身が静岡の清水というサッカーどころで、環境的なものもあったと思います。ガキの頃から絵に描いたような(ドラえもんの)“ジャイアン”的な存在で、気がついたときにはサッカー部に入っていました。小学校に入ってクラスや学年のやんちゃな方の仲間、友達がサッカー部に先に入り、「じゃ、俺も入ろうかな」という流れだったと思うんですけど。

 −−サッカーがうまいと尊敬されたのでは

 西澤 まあ、えらいというわけではないが、クラスの中心には、いられた。足もそこそこ速い方だし、身体もまあまあ大きい方だったですしね。

 −−小さいころからFWだったのですか

 西澤 昔はポジションなんてあってないようなものでしたから。でも、ボールのところに常にいました。得点も取ってましたね。

 −−サッカーにのめりこむようになった理由は

 西澤 試合をやって勝ったら嬉しいし、負けたら泣くぐらい悔しくて。その辺ですかね。(負けん気が強かった?)そうじゃないですかね。

 −−子供の頃から将来はプロに、と思っていたのですか

 西澤 思ってましたよ、海外に行ってでもプロになるって、サッカー始めたときから。当時はJリーグはなかったのですが、テレビで「(三菱)ダイヤモンドサッカー」という番組があって、(ドイツの)ブンデスリーグとかやっていたのを見ていました。それで、「サッカーのプロになるには、ドイツ行かなきゃいけねぇんだ」って。

 −−憧れの選手はいましたか

 西澤 いやー、いなかったですね、当時は。もう少し年をいかないと。そんなにサッカー自体もよくわからなかったし、ただ「プロになりてぇ」と思っただけで。

 −−実際にプロになることを意識したのは

 西澤 やはりJリーグができたときですね。僕が高校1年のとき。それまでは進学も考えていたが、プロの世界でやりたいと。

 −−選んだのは、地元の清水ではなく、セレッソ大阪(C大阪)だった

 西澤 何チームか、お話はいただいたのですが、いろいろなことがあり、大阪という町で頑張ってみようと。同じタイミングで、セレッソがJリーグに上がった年でもあったし、タイミングも良かった。すごく熱心に誘っていただいたというのもありましたね。それにモリシ(森島寛晃さん=静岡・東海大一高出身、現C大阪アンバサダー)とか、静岡で僕が高校サッカーを見ていた世代の選手がいて何か親近感がわいたというのもありました。

 −−不安は

 西澤 全くなかったことはないですけど、期待というか、自信もありました。でも、すぐにへし折られました。(聞き手 月僧正弥)

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